大枠、地球上の生物。
少し縮めると、地球上の人間。
もう少し縮めると、同じ国、同じ地域、同じ職場、同じ学校、などなど。
で、居合わせる人々をどう感じるか。
環境、DNA、能力(身体、技能、頭脳)、実績、評価、性質、、、などなど。
同じレベルだと、トラブルが起きやすい。
うんと違っても、トラブルが起きる。
人間関係は、トラブルの巣窟。
大会に出て競える分野なら良いが、そうは行かないものもある。
人は上も下もなく、皆、平等。
福沢諭吉さんの教えを今頃、紐解いてみる。
ところで、保育所や小学校での運動会のかけっこは、名前順でもなく、身長順でもなく、能力別に分けられ競う。
大きく優劣がつかないように横並び配慮がなされている。
ある意味、不思議。
全員、鶏口牛後。
いくら隠しても、差はじわりじわり出てくるのだが。
差イコール違い。違っていて当たり前。
それが個性。
でも、それを受け入れられない人は大勢いるように思う。
受け入れられないのも個性だとしたら、個性って何?
よくわからなくなってくる。
自分と関わりがあるかどうかがキーになってくる。
自分にどう影響するか。
関係なければ、どうってことがない。
関係あるからこそ、波立ったり、励ましあったり、ケンカしたりする。
他人事とは思えない事態(災害など)には協力を惜しまない。
上だ、下だ、同じだ、と分けても、将来はどうなるか、わからない。
過去は良くても悪くても、将来が安泰だという保証はない。
一寸先は闇。
なので、あまり一喜一憂していては、先が持たない。
まだ今後の後半がある。
時間や健康の調整は出来ても、調節は出来ない。
とかなんとか、先はわからないなら、それなりに自分が納得できるような今を過ごせば良い。
アリになったり、キリギリスになったり。
上だ下だの、こだわりもメリハリ。
人それぞれ。なんでもありだ。